9条どうでしょう
2006年3月発売の内田本の最新刊!
タイトルを見ればテーマについては把握できると思いますが、内田樹氏、平川克美氏、小田嶋隆氏、町山智浩氏の計4名による『憲法九条論』です。
内田樹氏と知の刺客たちが改憲論について異を唱える。
戦後繰り返されてきたお決まりの論戦を根本からひっくり返し、21世紀にふさわしい新しい九条論を展開する。
内田樹氏のブログ「内田樹の研究室」の2006年03月22日に『九条どうでしょう』プレミアム試写会というエントリーがあり、その中で、『9条どうでしょう』の「予告編」をごらん頂くことができます。
知に働けば蔵が建つ
2005年11月発売の内田本の最新刊!
「教養論」ですね。
以前から内田先生は「教養」格差について発言されていおり、勝つものが勝ち続け、負けるものが負け続けるフィードバック原理が働いていると。
弱者が負け続ける「リスク社会」。
「悩み」を具体的で取り組みやすい「問題」に変換するには?
靖国問題から嫌いな人とのつき合い方まで伝える教育、教養書ですね。
現代思想の視点から身体論、希望格差社会、外交問題などを読み解く。
教養は情報ではない。
教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力である。
雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。
教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。
雑学というのはトリヴィア・クイズに「早押し」で解答することである。
だから設問から解答までの時間がゼロであることを理想とする。
つまり、雑学とは究極的には「無時間モデル」なのである。
それに対して真に人間的な知性の活動は「そのこと」をトリガーとして「お話を一つ思い出す」という時間的な暦程をたどる運動のことである。
私たちは私たちが今語りつつある話の前件を特定できず、話の結末を予言することができない。
この「話」をしているプロセスそのもの、過去と未来へ、同時的に開かれてゆく生成プロセスそのもののことを私はその語の起源的な意味をふまえて「教養」culture(培養、栽培、養殖)と呼びたいと思うのである。
街場のアメリカ論
1.依存と自立――日米関係の話
2.ジャンクで何か問題でも?――ファーストフードの話
3.哀しみのスーパースター――アメコミの話
4.上が変でも大丈夫−アメリカの統治システムの話
5 成功の蹉跌−アメリカの戦争経験の話
6.かわいくない子供たち――児童虐待の話
7.コピーキャッツ――シリアル・キラー
・アメリカの戦争経験の話
アメリカは遠からず「没落」するでしょう。これは避けがたい流れです。ですから、戦略的な考え方をするならば、私たちの優先的な課題は、「アメリカが滅びていくことがもたらす被害をどうやって最小化するか」ということに集約されます。
アメリカが急激に没落していくことで世界が受ける衝撃は巨大です。それがどれぐらいの混乱をもたらすかは測定不能です。ですから、アメリカにはできるだけゆっくりと没落していってもらいたい。いかに周囲を巻き込まないで、静かに滅びてもらうかということを、ヨーロッパとかアジアの諸国が考えて、政策的に提言してゆかないといけないんじゃないかと思います。
未来学者ローレンス・トーブの予言には
多数のアメリカのユダヤ人のイスラエル移住はアメリカとイスラエルと中東と、移民自身の上に大きな影響をもたらすだろう。アメリカへの影響は、少なくとも短期的には大きなものとなる。(中略)アメリカ・ユダヤ人の活動領域は中規模経済エリア(小売・軽工業・金融・メディア・専門職)に集中している。それゆえユダヤ人の離国は経済的・社会的には爆弾となる。アメリカ経済はそのダイナミズムを失い、英国、カナダ、オーストラリアに似たものとなる
とある。
・児童虐待の話
グレゴリー・ベイトソンは1950年代に「ダブル・バインド理論」という理論を発表して、精神分裂症の症状が論理階型を識別する能力の欠如と関連づけました。論理階型識別というのはメッセージの中にいくつかの階層がある場合に、その優先順位を判定する能力のことです。
ダブル・バインドでは、通常メッセージを正しく解読すると罰せられ、誤って解読しても罰せられるという「出口のない」窮地に相手は追い込まれています。
私たちの日常生活でも、相手を精神的に追い詰めるときにこの方法を無意識に利用する人が少なくありません。
例えば、教師がいたずらをした生徒に「おまえは何で叱られているのかわかっているのか?」と問うというのは初歩的なダブル・バインドです。この問いに生徒が「はい」と答えると、「おまえはいけないことだとわかっていて、そんなことをしたのだな」と罰せられ、「いいえ」と答えると、「おまえはしていいこととしてはいけないことの区別もつかないのだな」と罰せられる。どう答えても罰せられるとわかっているとき、子供はこの問いの前に絶句します。この絶句は子供を深い無力感のうちに誘い込み、結果的に叱る先生と叱られる生徒の間には乗り越え不能の非対称的な権力関係が発生します。ですから、相手を精神的に支配し、意のままに操ろうと望む人はしばしばダブル・バインドを仕掛けます。相手のメッセージをどう読解しても罰せられるというこのダブル・バインド・コミュニケーションがもっとも頻繁に利用されるのは、軍隊、学校、そして家庭です。
言語と文学
・読み : げんごとぶんがく
・著者 : モーリス・ブランショ,ジャン・ポーラン,内田 樹,野村 英夫,山邑 久仁子
・発行 : 書肆心水
・発行日 : 2004/12
・ジャンル : 現代思想
・定価 : 3,990円
言葉で言葉を越えることは可能か?
逆説に満ちたブランショ的反抗の核心に、ブランショ初期からの、言語についての徹底的な思索が埋め込まれていることを示す、ブランショワールドの始原へのいざない。
街場の現代思想
「勝ち組・負け組」ならぬ、生まれついての「バカ組・利口組」という身もふたもない「新しい階層社会」が出現しつつある!
この事態を避けるためには、流動性の高い社会、すなわち「プチ文化資本家」たちが多数を占める「文化的一億総中流化」社会を目指すべき。
本書の前半では、おじさん内田がそうした社会の仕組みを解説、後半では、人生相談形式で、街場の常識を読み解いていく。
給与、転職、ワーク・モチベーション、結婚、離婚、言葉使い・・・
身の回りの根源的な問いが、初めて腑に落ちて納得できる本
寝ながら学べる構造主義
構造主義というのは、ひとことで言ってしまえば、次のような考え方である。
私たちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。
だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものをみているわけではない。
むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に見せられ感じさせられ考えさせられている。
そして自分の属する集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の自律的な主体であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。
現代思想のパフォーマンス
・読み : げんだいしそうのぱふぉーまんす
・著者 : 内田 樹、難波江 和英
・発行 : 松柏社
・発行日 : 2000/04
・ジャンル : 現代思想
・定価 : 2,940円
「ある社会集団の固有の語法」、別の言い方をすれば、ある時代、ある集団のメンバーが「ごく自然に文章を書く」ときに固有の「書き方」、それを、バルトは「エクルチュール」と術語化した。
エクリチュールを選ぶということは、ある地方神を奉じるローカルな宗教に帰依することに似ている。
この地方神は嫉妬深く、彼以外の神が分節する世界を許容しない。
エクリチュールは本質的に排他的でローカルな語法である。
だから、エクリチュールのうちで思考し、表現しているかぎり、世界のある側面は組織的に見落とされ、ある種の主題は決して意識化されない。
「神話の檻」から脱出したいと望むならば、ひとつの記号からいかに多くの読み筋を掘り起こせるか、その記号が可能性として含んでいるカオス性・多義性をいかにして賦活するかということがさしあたりの課題として立てられることになる。
これがバルトのテクスト論の基本的な構想である。











