14歳の子を持つ親たちへ

14歳の子を持つ親たちへ

・読み : じゅうよんさいのこをもつおやたちへ
・著者 : 内田 樹,名越 康文
・発行 : 新潮社
・発行日 : 2005/04
・ジャンル :エッセイ
・定価 : 714円

コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聞こえているはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聞き手が決めることです。
そのとき、できるだけ可聴音域をできるだけ広げて、拾える言葉の数を増やしていく人がコミュニケーション能力を育てていける人だと思うのです。
もちろん、拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためにフレームワークは絶えずヴァージョンアップしていかないと追いつかない。それはすごく手間のかかる仕事ですよね。そのとき、「もう少しで『声』としてこえるようになるかもしれないノイズ」をあえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで、その人のそれから後のコミュニケーション能力が決定的に違ってしまうような気がする。

教育問題の根本には、「自分の意見をはっきり言いなさい」という強制がある。そういうことを子供に強制するのはほとんど罪悪だと思うのです。
むしろ言葉に詰まる子に対して、いくら言葉につまっても構わない、先生は待っててあげるから大丈夫だよ。と告げることのほうが優先順位の高い教育課題じゃないですか。人前で語るとどうしても恥ずかしくて言葉がつまっちゃう子供に「シャイネスというのは美徳なんだよ」と言ってあげること。
あるいは、中途半端な言い方をしてしまって、「こんな言葉づかいじゃ、僕の気持ちが伝えられない」とすぐに前言撤回しちゃうので、話がグルグル回るばかりで、さっぱり結論に至らないというような、そういう子供に対しては、そういう時こそコミュニケーション能力が飛躍的に成長するプロセスを通過しつつあるんだということを、忍耐強く見て取ってあげないといけないと思うんです。
あと、矛盾するようですけれど、それと同時に、どこかでその終わりなき嘆きを断念することも教えないといけない。100%ピュアな、言葉と思いがぴったりと合致した理想的なコミュニケーションなんてありえない、ということも教えてあげないといけない。
もうこれ以上適切な言い方はみつけられそうもない。このへんで手を打とうという断念もやっぱりコミュニケーションにおいては必要なんです。

自分の思いを適切に伝える言葉に出会うまで、口ごもりながらでもいいから「言葉を捜してごらん」という励ましと、自分の思いを語りきれる言葉に人間は絶対に出会えないんだから、どこかであきらめて「言い切りなさい」という忠告を、子供に対して同時に告げなければいけない。

自分が自分について語ることは、つねに語り足りないか、語りすぎるかどちらかで、自分の思いを過不足なく言葉にできるなんてことは起こりえない。
だから、ぎりぎりのところでそれに触れそうな言葉を次々とつなげていくしか手がない。




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