先生はえらい
恋愛が誤解に基づくように、師弟関係も本質的には誤解に基づくものです。
資格を取るとか、ナントカ検定試験に受かるとか、免状を手に入れるとか、そういうことは、「学び」の目的ではありません。「学び」にともなう副次的な現象ではありますけれど、それを目的にする限り、そのような場では、決して先生に出会うことはできません。
先生というのは、「みんなと同じになりたい人間」の前には決して姿を現さないからです。
書物を経由しての師弟関係というのはもちろん可能ですし、TV画面を見て、「この人を先生と呼ぼう」と思うことだって、あって当然です。
要するに、先生が私のことを知っていようが知っていまいが、私の方に「この人の真の価値を知っているのは私だけだ」という思い込みさえあれば、もう先生は先生であり、「学び」は起動するのです。
学びには2人の参加者が必要です。送信するものと受信するものです。そして、このドラマの主人公はあくまでも「受信者」です。
先生の発信するメッセージを弟子が、「教え」であると思い込んで受信してしまうというときに学びは成立します。「教え」として受信されるのであれば、極端な話、そのメッセージは「あくび」や「しゃっくり」であったってかまわないのです。「うそ」だってかまわないのです。
私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有用な知見を伝えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見をいう先生」でもありません。
私たちが敬意を抱くのは、「謎の先生」です。
「謎の先生」はその有用性がすでにわかっている技術や知識を私たちに伝える人ではありません。彼が伝えるものの価値が私たちにすでに知られており、それに対して私たちが対価を提供しうるような教師は「謎を蔵した人」とはみなされません。
その人がいったい何を知っているのか私たちには想像が及ばない先生、それが「謎の先生」です。
「謎の先生」の教育的効果について近代日本でもっとも精密な記述を行ったのは、夏目漱石です。漱石の「こころ」と「三四郎」はどちらも「謎の先生」についての話です。
どちらも、十代の男の子が「見た目あまりぱっとしない中年男性を『先生』だと思い込んで、それがきっかけで成長のプロセスがはじまる」という話なんですが、これが、2つとも。
一方は無為徒食の閑人、一方は高校の生徒から「偉大なる暗闇」とあだ名されるほどにぼおっとした何を考えているのかわからない茫洋たるおじさん。
にもかかわらず、漱石は「こういう『おじさん』たちを若い人たちは見つけて、その人を導き手として人間的成長を遂げてください、では、さようなら」と描いて話をさっと切り上げてしまっているのです。ずいぶんですよね。
これでふつうの中学生や高校生に話がわかるはずがありません。
でも、かの文豪がそう書いて筆を置いた以上、これは「それでよい」としなければなりません。
先生というのが本質的に機能的な存在であり、先生を教育的に機能させるのは学ぶ側の主体性であるという逆説を熟知していたジャック・ラカンは、こう述べています。
教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所につれて来られると、すくなくても見かけ上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っているものの立場に立たされている間はつねに十分知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません。
弟子は、師は私の知らないことを知っているはずだと想定したことによって、何かを(しばしば師が教えていないことを)学んでしまうのです。そして、何事かを学び得た後になってはじめて、その学習を可能にした師の偉大さを思い知るのです。
学ぶのは学ぶもの自身であり、教えるものではありません。「それが何であるかを言う事ができないことを知っている人がここにいる」と「誤解」したことによって、学びは成立するのです。
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