子どもは判ってくれない
論理的に思考するとは、簡単にいってしまえば、今の自分の考えをカッコにいれて機能を停止させるということである。
今の自分の考え方とは、自分にとってごく自然とおもえるような経験や思考の様式のことである。
目の前に問題があって、それがうまく取り扱えないというのは、要するにその問題の解決のためには今の自分の考え方は使い物にならないということである。
それはペーパーナイフでは魚を三枚に下ろすことはできないのと同じである。
使い物にならない道具をいじりまわしていても始まらない。
そういうものはあっさり捨てて、出刃に持ち替えないといけない。
論理的に思考するというのは、煎じ詰めればペーパーナイフを捨てて、出刃に持ち換えるということである。
論理的に思考できる人というのは、手持ちのペーパーナイフでは使えないということがわかった後、すぐに頭を切り替えて、手に入るすべての道具を試していることのできる人である。
勤惰わしで鱗をはぎ落とし、柳馬で身をそぎ、刺抜きで小骨を取り出し、骨に当たって刃が通らなければ、かなづちで出刃をぶん殴るような大技を繰り出すことさえいとわないような縦横無尽融通無碍な道具の使い方ができる人を論理的な人というのである。
よく論理的な人を理屈っぽい人と勘違いすることがあるが、理屈っぽい人と論理的な人はまったく違う。
理屈っぽい人はひとつの包丁で全部料理を済ませようとする人のことである。
論理的な人は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のことである。
今の自分の考えは自前の道具のことである。
ということは、その都度の技術的課題にふさわしい道具とは他人の考え方のことである。
自分の考えで考えるのを停止させて、他人の考え方に創造的に同調することのできる能力を論理性と呼ぶのである。
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